SHINLOG

Index

  1. 2020:
    1. 03/21
    2. 06/06
  2. 2021:
    1. 01/16
    2. 02/06
    3. 05/07
    4. 05/15
    5. 06/23
    6. 10/09
  3. 2026:
    1. 03/19
    2. 04/19

志望書には何が期待されているのだろうか。求められているのは、自分の生においてどれほど心理的洞察に近づいているか、ということなのだろうか。この志望書を書きながら私を混乱させているのは、被分析者としてなのか分析家としてなのか、どちらの位置からこのほとんど自己紹介のような文章を書くことが期待されているのか、私について「もっと語る」べきなのか、それとも自分の生により理論的かつ分析的な仕方で接近すべきなのか、ということだ。以下の文章は後者、すなわち分析家の位置から書かれている。というのも、そのほうが、心理的洞察への近さと、この文章の可能性をよりよく示せると考えるからだ。

前学期の終わりから、私は毎週パトリス教授に会っていた。私の関心は主として哲学にあるので、会話のなかで彼は哲学について、より正確には、人が哲学を学ぶひとつの共通の動機について、こう述べた。哲学とはつまるところ、自らの苦しみに意味を与えようとする試みなのだ、と。この言葉は私にとって衝撃だった。私の解釈では、この言葉が含意しているのは、真理と哲学を断念することだ。哲学の普遍性と真理性は、たんなる防衛機制へと貶められてしまう。しかし、苦しみは人によってその形も量も異なり、そのことは、真理や超越論的価値なるものが、自ら想定しているような普遍的な力を決してもたないことを示している。原初的なトラウマゆえに、自らの生を哲学によって正当化する必要をもたない人びと、〈法〉によって同じ程度には規制されていない人びとが、つねに存在するのではないか『自我とエス』でフロイトが超自我について言うのも、これではないだろうか。最も倫理的にふるまう者こそ、最も多く罰せられるのだと。人びとが言い争うとき、なぜ他人は何が「正しい」のかを理解しないのだろうと訝しく思うことがあるが、それは単に、彼らにはその必要がないからかもしれない。

しかし、なぜそれがこれほど恐ろしかったのだろうか。哲学が他人にとって何を意味しようと脇に置き、ただ自分で、自分のために「真理」を追い求めることで、なぜ私は満足できないのだろうか。なぜ真理というもの、真理の研究である哲学というものの定義には、普遍性が帰せられているのだろうか。1 結局のところ、哲学は何のために〈他者〉を必要とするのか。ここから、もうひとつ別の解釈が導かれる。哲学の背後に隠れているのは、生をあるがままに受け入れることのできなさなのではないか。そして哲学の達成とは、その苦痛に満ちた生命力そのものとしての生から退却し、生の「特殊」から「普遍」へと身を引き、深い敗北を勝利として包み直すこと、しかも偽の勝利として、なのではないか。

禁じる神、ほかの理解を偽として退ける真理、そして子どもが母の全面的な注意を獲得しようとする試みを妨げ、去勢を導入するエディプス構造における父の名(フランス語では「父の否」と同音でもある)は、同じものの別名ではないだろうか。それらは、人びとが奉仕し、犠牲を捧げる絶対的な否定性である。まるで子どもが父を満足させようとするかのように。私たちは〈他者〉に承認されることを必要としている。自らに課した去勢は善いものであり、それで十分なのだと、そう告げてもらうために。フロイトは、子どもの「教育」を性的快楽の喪失として理解している。食べることや排泄することの欲求に対する直接的な満足は差し止められ、あるいは罰せられ、自体愛的な行動(親指しゃぶりや性器に触れること)はしだいに抑止されていく。子どもは、自らの快楽を、親の愛と承認と引き換えに手放す。だからこそ、哲学にはつねに〈他者〉が前提されているのだ。すなわち、私たちの犠牲を欲し、そののちにその報酬を与えてくれる〈他者〉が。

だが、私たちは彼(神、父、あるいは〈他者〉)にうまく仕えることなどできるのだろうか。私たちの犠牲は、ほんとうに〈他者〉が望んでいるものなのか、それとも、報われるために私たちが〈他者〉の欲望として空想しているものなのか「哲学とは、自らの苦しみに意味を与えようとする試みである」普遍的真理の背後には、つねにひとつの主観的な立場がある。人びとが空想するような調和や健全な全体性に、私たちはけっして到達できない。哲学とは、到達しえない満足を追い求める長い迂回なのである。したがって私の考えでは、哲学を学ぶという実践は(そしてそこからひとつのアイデンティティを得ることもまた)、フロイトが死の欲動について仮定したことと密接に結びついている。すなわち、トラウマを反復することで外傷的出来事の有害な帰結を事後的に取り消そうとしつつ、満足できないというそのこと自体から満足を得るような欲動と。

生には意味がない。真の昇華は、私の現在の理解では、生のその否定性と全面的に同一化するところにある。生それ自体が不均衡で、不完全で、外傷的なのだ。そして私たちは、どのような仕方であれ生を正当化しようとする必要を手放さねばならない。それは、子どもが自らの父となるとき、私たちが神になるときのようなものだ。私はまだ、この昇華がどのように作動するのかを語るための語彙を十分にはもっていない。だが私の見るところ、精神分析のうちにこそ、この変容への鍵がある。

標準的な医学モデルによれば、精神病理とは、損傷した発達によって生み出された正常な精神機能からの逸脱である。フロイトは『日常生活の精神病理学』という彼の著作の題名が示す通り、正常性と病理とのあいだに連続性を措定することによって、このモデルと決定的に断絶した。精神疾患において働いているのと同じメカニズムは、日常の生における言い損ない、錯誤行為、そして機知(彼の冗談についての著作)にも現れている。さらに大胆にも、フロイトは、文明のもっとも高次の達成と、さまざまな病理的現象との親和性を指摘した。すなわち、宗教は強迫神経症者の強迫儀礼と、哲学理論はパラノイア的体系と、芸術は幼児的な性的空想と、それぞれ響き合っている。アルトゥール・ショーペンハウアーがかつて、いかにもベケット的な仕方で、歩行を「絶えず中断された転倒」と定義したように、精神分析は私たちに、正気とは狂気の対極ではなく、多かれ少なかれうまく調整された狂気なのだと考えるよう促す。

絶えず破綻を恐れながら生きている精神病者に、医師が「心配するな、その破綻はすでに起きている。君はすでに狂っている」と安心させるような場面を想像してみてほしい。私たちはすでに死んでいる/去勢されている。生の理由や正当化を、もう探してはならない……

Footnotes

  1. ここで私が指しているのは、哲学の狭い定義である。哲学に別れを告げるどころか、この文章は、私にとって本来の哲学への道を開いた。病理的なものを空にすることで。 ↩︎


朝、叶修が亡くなったと知らされた。1 最初は事故か、あるいは病死かと思ったが、関連する文章を少し読んで、自ら死を選んだのだと知った。実のところ、悲しくはなかった。死は美しい。叶修がこのすべてを考え抜けたことが、私は羨ましかった。

日本語のプレゼンテーションの授業のために、私は性差とトラウマについての文章を、発表内容として使おうと頑なに決め、大量の気力をそこに注ぎ込んだ。この授業に関して言えば、具体的な内容の出来不出来など、どうせ誰もそれほど気にしない。けれど、私は本気でこだわっていた。書き続けて、今日の午後になってようやく完成稿を書き上げた。

夜、母とビデオ通話をし、またしても、哲学を学んでも先がないと、周囲の誰もが思っていることを延々と聞かされるのに、時間のすべてを費やした。


たぶん、この三つの化学反応なのだろう。さっき夕食を買いにスーパーへ行ったとき、棚の前に立った瞬間、突然、打ちのめされた。微かな感情が激化して、もはや覆い隠せなくなり、悲しみに呑まれ、総崩れになって泣き出した。食べ物に手を伸ばしたその一瞬、自分の身体がずっと私を欺いて、私をあまりにも自然に生かしてきたのだと気づいた。

親に、自分のしていることの意義を疑われるたびに、私は信じている⸺いや「自分に言い聞かせている」ですらない。あまりにも自然に⸺哲学や精神分析、要するにそうしたさまざまなことは、本当に私がやらざるをえないことなのだと。

空腹という感覚は、ただ肉体の哀れさでしかない。それは「私」のなかの、人間である部分の惨めさだ。叶修が去ったことは、その部分と私とのつながりを、そっと剥がしてしまったようだった。生きることをそのつど小さく選び取るたびに、私はこの重みを引き受けなければならず、そのための理由を探さなければならない。私は、意味を探したいとは言えない。意味など、真実に正面から向き合えないためにひねり出される言い訳にすぎないのだから。

もし「私」が人間的な部分と非人間的な部分に分けられるのだとしたら、私はただ、非人間的なその部分だけが作動してくれればよいと願う。自分が置かれている構造に従い、機械のように自分の運命を遂行し、それから、この偶発を終わらせる。それで十分だ。まるで、あらゆる人の制止を完全に無視してでも、彼女の兄の埋葬を果たそうとしたアンティゴネーのように。ニーチェの言葉を借りれば、生はただの病である。


そしてちょうど今日、私はひとつの文章を書き上げた。出来はどうなのか。私は、あらゆる重みを引き受けうるあの理由を見つけたのだろうか。私は何ひとつ新しいものを書けない。私はまったく…… もし創造できないのだとしたら、なぜこの哀れな肉体を引きずってまで生きねばならないのか。なぜ喜んで死という運命を受け入れないのか。

人間的な部分の忌まわしいところ⸺食べること、眠ること、そしてさまざまな小細工⸺あらゆるものが甘言をささやき、しかも暴力的に、私を生かし続ける。私はずっとこの重みに正面から向き合っていられるようにしたい。けれど、それは私にそうさせてくれない…

人びとがこうした感受を情緒的なものへと還元してしまうのを見るたびに⸺「彼は考え抜けていなかったんだ……」「誰だって自分の書いたものに満足しないものだ」⸺私はただ、少し無力さを覚える。私はそれらをそのように理解することを、断固として拒む。そうだ、これらは私の感覚であり、私の感情でもある。だが同時に、それらは私を超えたものでもある。そこから逃れてはならないし、貶めてもならない。

Footnotes

  1. 叶修は、私が高校時代からよく見ていた、日本での生活を記録する動画制作者だった。生前、仏教的な生死観に触れながら生や死について語り、身近な関係を整理したのち、自ら人生を閉じた人として、ここでは触れている。 ↩︎


行為の正しさも誤りも裁かず、行為せよ。 愛するものの善悪を気にかけず、愛せよ。 ナタナエルよ、私はきみに熱情を教えよう。

欲望のうちにも利があり、欲望の成就のうちにも利がある。そうして欲望はいっそう増し加わるからだ。 そして実際、ナタナエルよ、私の欲望の一つひとつは、私の欲望の対象を手に入れるという、つねに人を欺く所有よりも、はるかに私を豊かにしてきた。

ナタナエルよ、私はきみに、まだ誰からも与えられたことのない歓びを与えたい。どう与えればよいのかは知らない、だがその歓びは私のものだ。私はきみに、まだ誰ひとりきみに語ったことのないほど親密に語りかけたい。私は、夜のあの時刻にきみのもとへ来たい。きみが幾冊もの本を次から次へと開いては閉じ、その一冊一冊のなかに、それがこれまで語った以上の何かを探し求めたのちも、なお待ち望み、糧を欠いてきみの熱情が悲しみに変わろうとしている、その時刻に。私はただきみのために書く。きみのためにだけ、そうした時刻にだけ、書く。私は、一冊の本を書きたい。そこでは、私自身のどんな思想も、どんな感情も、きみには存在しないかのように見え、ただきみ自身の熱情の投影しか見えないような本を。私はきみのそばへと近づき、きみに私を愛させたい。

きみの持っているものだけを切望せよ。昼のどの瞬間にも、神はその全体においてきみのものとなりうるのだと知れ。きみの憧れを愛とし、きみの所有を恋する者のそれとせよ。実を結ばない憧れなど、いったい何だというのか。

⸺ アンドレ・ジッド『地の糧』

今日は哲学研究会の卒業発表だった。卒業生たちの発表を聞いたあと、そのままオンラインの打ち上げが開かれた。笑いながら、卒業する先輩が毎日明け方に公園へ行ってスケボーの練習をしていることや、車を買うお金がないからバイクの免許を取ろうとしていることや、最近キャンプに夢中になっていることを聞いていた…… 卒業する先輩たちのこととなれば、やはりこれから何をするのかという話になる。そのなかで、A先輩は研究会のなかでも数少ない、本当に哲学をやっている人の一人だった。卒論は、アガンベンがCOVIDをめぐって展開した一連の議論と、それに対するほかの現代哲学者たちの応答や批判についてのものだった。そんなA先輩が、もうすぐ伊豆に引っ越して旅館で働くのだと言い、私たちが遊びに行けば割引してくれると言った。日本に来てから、みんなが自分の専攻とは関係のないことをするのにはだんだん慣れてきた。けれど、自然しかない山のなかへ移り住み、旅館で働くというのには、さすがに少し驚かされた。私は、なぜですかとは聞かずにおいた。自分のしたいことをするのは当然のことで、それをわざわざ問いただすのは、何か不自然なことのように思えたからだ。だが話しているうちに、先輩は自然と、どうしてそこで働きたいのかを語り始めた。彼はずっと茶道を学んでいて、もっと先の夢としては、茶道の先生になることを考えているという。だから、客をどうもてなすかを知りたくて、旅館はそのよい出発点になるかもしれないと思ったのだと。ああ……

もう一人のM先輩は、もしかするとロシアに行くかもしれないと言った。ロシア政府には、毎年一万人以上の外国人を公費でロシアに招いて学ばせるプロジェクトがあり、日本ではまだあまり知られていないのだという。彼はまだロシア語ができないはずだが、ロシア語を学ぶ学校も政府が手配してくれて、英語で行われるプログラムもあるらしい。それから彼は自分の中高のことも話し始めた。どうやらそれも日本のエリート私学で「こんな学校、日本にもあるのか」と疑いたくなるほど中国の高校に似ているところがあった。彼もまた、私にとっては本当に哲学をやっていると思える先輩だった(そう、哲学研究会とはいっても、大半の人の研究テーマは哲学とほとんど関係がない)。今学期の研究テーマは、デリダにおける「赦し」の概念だった。どこか話し下手そうで、話すときには少しゆっくりとしていて、それでいて彼なりの粘り強さのようなものを感じさせる。彼を見ていると、私はいつも高校で競技に参加していたころの先輩を思い出さずにはいられない。彼は、このプロジェクトの唯一の欠点は政府が行き先をランダムに決めることで、ひょっとするとシベリアに飛ばされるかもしれないと言った。画面の中の日本人の先輩は、つるりとした顎に、ほどよく整った髪、簡素で品のある服を着た、よくいる日本の男の子だった。最近ドストエフスキーを読んでいるせいで、私はつい、この先輩がロシアへ行って人生を豊かにし、あちらの寒さを知り、もしかすると髭を生やし、ある瞬間にはストーブのそばで本を読んでいる姿を想像してしまった。

こうした会話はすべて、今回のオンライン打ち上げの終わり際、先輩たちの卒業を祝う会の終盤に交わされた。本当の意味での終わり、余韻さえ間に合わないかもしれないほどの終わりだった。けれど、それでも確かに人生の質感をかき立てて、私は一晩じゅう少し落ち着かなかった。正直に言えば、自由はこれまでずっと私のものではなかった。生活のほとんどすべてに対してある種の隔たりを抱えている私には「私は自由を望む」と思うことはあまりない。目標としての自由は、おそらく多かれ少なかれ、何かからの自由なのだろう(束縛や抑圧から解放される自由)。私はそうしたさまざまな自由のそばを通り過ぎてきた。国内の教育システムからの自由、情報統制からの自由、資本社会からの自由…… だがいつも通り過ぎるだけで、そこに留まったことはなかった。今夜の会話によって、私は初めて、自分が自由に憧れているのだと感じた。先輩たちは、ああいう選択をするとき、そもそも自由を何かの目標として考えてすらいなかったのだと思う。人里を離れたいから旅館で働くのではなく、日本にうんざりしたからロシアへ行きたいのでもない。ああした選択をしたそのとき、彼らはすでに自由だった。自由はただ、結論としてあとから現れるだけだ。自由という概念は、もはや何かを否定することで自らを証明する必要がなく、偶然的な生のなかにすでに現れているときにこそ、本当に自由なのだ。


後日談:

  1. 彼らが私の目に自由に映ったのは、まさに彼らがしていることが、なお私にはできないことだからだ。彼らの自然さが、私の不自然さを浮き彫りにしている。とはいえ、私自身も「社会的な規範から解放される自由」を自分の努力の方向に据えているわけではない。この文章は、あの瞬間、彼らが私の目にどういう自由として立ち現れたか、その感慨を記した記録にすぎない。変化は自然に起こる。Wo Es war, soll Ich werden.(「エスのあったところに、自我はあらねばならない」――フロイト)反抗をスローガンにすることは、結局ただ別の拘束にすぎない。
  2. 文中では二人の先輩について、どちらにも哲学をやっているということをわざわざ強調している。ある他者から見れば、これは別に決定的な情報ではないのかもしれない。せいぜい彼らの像を少し具体的にした程度のことだろう。けれど私にとってはそれが必要だったし、彼らの自由を感じ取るための核心的な情報でもあった。多かれ少なかれ私はなお「哲学」というものに結びついたある種の情熱や「哲学」に結びついたある種の生き方を仮定しているのだ。多かれ少なかれ私は「哲学」というアイデンティティに縛られている。だが、そのことに気づいたときには、その拘束もまた消えようとしているのかもしれない。

[夢] 何か空想的な物語から始まった。誰か一人の相棒と、秘密の任務についていたのだが、そこはもうそれしか覚えていない。そのあと私は、中国にもよくある大衆浴場で、その相棒と楽しげに話していた。相棒は姿を消し、代わりに父が視界に入ってきた。父は私を探していた。私がどこへ行くのか逐一報告しろと父は言いたかったのだが、私は自分だけの時間を楽しんでいた。1 父は浴場の中をこちらへ歩いてきた。私は、父の妙にマッチョな態度が恥ずかしかった(人前で、自分の子どもである私を責めること。しかし現実の父は、むしろ人前ではかなり抑制的だ

そのすぐあと、私は中国の実家にいた。父は私に説教をしていた。私は言い返した。父は棒を取り、それから刃物まで持ち出して、私を殴るぞと脅した。私は応戦し、父に向かって怒鳴った(ここで目が覚めた)

「要するに、あなたが言っているのは二つのことだ。この家には、私のものは何一つない(それに、私は自分一人ではお金も稼げない。あなたは私に死んでほしいだけだ!)」

括弧の中は、夢の中ではまだ口にしていなかった部分で、そこで私は目を覚ました。最初の点は、私がいつも抱いている一般的な感覚だし、父に説教されるとき、父が実際にそういう言葉を口にしたこともあったように思う(この家の中に、私のものは何もない)興味深いのは、二つ目の点の意味が私にはよく分からないことだ。なぜ私が自分で金を稼げないのか、そしてそれがどう父と関係しているのか、どうにも筋が通らない。

あとになって気づいたのだが、誤解を招く言い方かもしれないけれど、この夢の中の二つの不自然な要素(恥ずかしさと「お前は金を稼げない」)の出どころをあえて特定するなら、それは母のほうにあるのだと思う。人前で私を叱っていたのは母のほうだし、私の専攻や将来の職業についていつも何か言うのも母だ。(「哲学を勉強して仕事が見つかるの」など)つまり、この奇妙さの感覚は、母に対する攻撃性が抑圧されるべきものとして、母が父へと置き換えられているかのようなところから来ているのだ。

私は以前からずっと、どうして夢の中に母がほとんど現れないのだろうと自問してきた。父のほうは、むしろあの古い全体主義的な人物である。(「とにかく祖父ちゃんのところへ行け!」)規則は明快だ。他者の欲望の奈落はない。そのため、欲望や主体性にかかわる私的な領域は手つかずのまま残される。実際、最近の私は父とうまくやっている。むしろ怒りを感じるべきなのは母に対してなのだと思うのに、私はその怒りを感じることができない。

Footnotes

  1. 自分の居場所を報告しなければならないという圧力は、昨年見た別の夢にも現れていた。その夢の中で私は、父に説明するのが面倒に感じられて、どこにも行っていないふりをしていた。故郷では、家族はたいてい車で出かけていた。私が一人でどこかへ行く経験はかなり限られていて、そのことが、私が一人で外出することへの暗黙の禁止を生み出していた。 ↩︎


[夢] 私は高校の同級生たちと一緒に日本を旅行していた。修学旅行だった。荷造りをして、中国へ飛行機で帰るところだった。どういうわけか、私はものすごく荷物が多く、とても自分一人で全部持てるような量ではなかった。ホテルの入口のあたりを歩き回りながら、ほかのみんながそのとき何をしているかを眺めつつ、私は時間までに荷物を全部まとめられるのか不安になっていた。もう空港行きのバスに乗っている人もいれば、すでに荷造りを終えて、一緒に遊びながら出発を待っている人たちもいた。私は自分が何をすべきなのか、予定がどうなっているのか分からなかった。私はひとり取り残されたように感じた。1

「迷っている時間はない」とふと思った「今すぐ荷造りしなきゃいけない」私はホテルの中に入った。そこは高層で、豪華で、入り組んでいて、まるで迷路のようだった。道に迷わずに済む唯一の手がかりは、自分の部屋番号だけだった。同じ建物に泊まっているにもかかわらず、私たちは互いに隔てられ、それぞれ自分の部屋に身を潜めることを強いられ、ホテルの中で互いの部屋を行き来することを禁じられているように感じられた。私はエレベーターに乗り、そこには男性の同級生が二人いた。彼らのマスキュリンな態度には少し苛立ちを覚えたものの、私は彼らのファンタスムに付き合うことにした。2 会話に気を取られて、私は降りるべき階を通り過ぎた。できるだけ早く降りた。するとどういうわけかエレベーターはミニバスになっていて、外はホテルのフロアではなく、湘南台駅の東口だった(夢の中ではそれが自然に感じられた3

私は駅の西口へ行きたかった。道はアスファルトではなく、小さな石とガラスの欠片が散らばった泥の地面だった。私は裸足で、足を傷つけるのではないかと不安だった。けれど結局、傷つくことなく駅のほうへ走っていくことができた。駅の向こう側へ行くにはどうすればいいかというこの障害をひとまず越えると、私はあてもなく考え始めた(シャワー中のように)。新しいことを試してみたい、しなやかでありたい、と私は感じていた。けれど、そこには限界がある。私自身が自分の視線に対して透明になり、自分が何から成っているのかが見えるようになった。そこには、雲のようなエネルギーの塊が三つあった。食べること、眠ること、そして考えること(ただし、最後のものを表す言葉は、夢の中では現れなかった。それは「本を読むこと」でも「哲学を勉強すること」でもなく、同一化を生み出すようなシニフィアンがない。ただ対象をもたない切迫感だけがある)私には、それ以外に変えられる余地はない。ニイナに助けを求めようと思ったが、すぐにその考えをやめた。答えなどないのかもしれない。この夢を書き留めながら振り返ってみると、無力だとは感じていなかったように思う。

Footnotes

  1. この何もできない視線は、私の夢に共通する要素である。私はただうろついているだけで、他人とやり取りしていない。なぜ私は、単純に誰かに何をすべきか尋ねなかったのだろうか。私は、〈他者〉のうちには、私が何であるかに応答し、それを保証しうる(répondre de)シニフィアンがないという事実に直面しているのだろうか。それは、私が自らの象徴的アイデンティティを失うまさにその点を指し示す、純粋なコギトである。思い出せばよいのは、主人公が自分が存在しなかった場合に物事がどうなっていたかを目撃するフランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生』や、主人公が身動きできないまま窓から起きていることを観察するだけのヒッチコックの『裏窓』である。 ↩︎

  2. ここで私がマスキュリニティと呼んでいるのは、実際のジェンダーとは関係のない、その否定的な側面としてのごく特定の態度である「父の名の背後に隠れ、自らの欲望への責任を引き受ける勇気を持たない詐称者」とでも理解できるかもしれない。 ↩︎

  3. おそらく「降りるべき場所を通り過ぎる」という発想のせいで、シニフィアンが自動的なメカニズムによって「バス」へとずれていったのだろう。 ↩︎


[夢] 私は、自分の手の中にある黒いチップを見下ろしていた。カジノで使われるようなチップだった。腕と、私が握っているそのチップ以外のすべては、純粋な黒の中へ沈んでいた。それは、闇の中で一本の蝋燭だけが灯っているようだった。チップには何かしらの記号が刻まれていて、それがチップに生命感を与えていた。誰かが私に話しかけていた。男だったが、それ以上の細部は何も思い出せない。声にさえ特徴はなく、記憶には何の痕跡も残っていない。けれど、それは私がその声に安心していたということなのだと思う。

その人はこう言った「生は、危険を引き受け、ぎりぎりのところで賭けてこそ面白い。だが、賭けすぎれば命を失うこともある。気をつけろ」私はチップを放り投げ、彼の言葉に従うことで「分かった」と示したかったのだが、そのチップを受け止め損ねた。チップが闇の中に落ちていったにもかかわらず、私は落ち着いていた。自分のチップを探そうともしなかった(ここまでは、チップを持ち、それを受け止め損ねたのは私だった。ところが突然、私は自分自身を別の人間として見るようになった)私は「あの男」が生きようと努めるそのさなかに、たまたま命を失ってしまったのだと悟った。

私は泣きながら目を覚まし、それから笑い出した。私を泣かせた感情は同情だった。その人の生は皮肉で、悲劇的だった。彼は無邪気にその言葉に従っていただけなのに、命を失ってしまった。それから私は、そのメッセージの逆説的な核心のせいで、大笑いし始めた。念のために言うと、そのメッセージにははっきりした言葉はなく、イメージだけがあった。私はそのイメージを、先ほどの文へと要約した。私の頭の中では、主に二つのイメージが並行して進行していた。

  1. チップは一枚だけ残るまで使わなければならない。だが、その最後の一枚を失ってしまえば、何も残らない(つまり、死ぬ
  2. ぎりぎりの縁で賭けなければならない。だがそれは同時に、自分自身をその縁の向こうへ押しやることを、いっそう容易にもする。

目が覚めてから、私はこの夢をメモし、なぜこの夢がこんなにもおかしかったのかを書き留めようとした。けれど、冗談としてはほとんど意味をなしていないので、結局ただ混乱するばかりだった。


[分析] この夢の中心にあるのは、黒いチップが何を支えているのか、そしてそれがなぜ失われうるものとして現れるのか、ということだ。チップはお金であり、生命力であり、ゲームに参加するための資格でもある。そこには、親から与えられた価値、哲学的な正当化、生きてよいという保証のようなものも重なっている。つまりチップは、ただ所有されるものではなく、他者の前で自分の生を有効なものとして成立させる印である。それは、私がなぜ生きてよいのかを、私の代わりに答えてくれるものでもある。

だからチップには最初から矛盾がある。それは支えであり、同時に賭けに出されるものでもある。守りであり、失われうるものでもある。生命力を与えるものなのに、それを使うことが死の可能性を開いてしまう。夢の中でチップが黒く、闇に属していながら、それだけが見えているのは、この矛盾のためだと思う。チップは生の外側から生を照らすものではない。むしろ、生がゲームの中でしか有効にならないという、その暗さを含んでいる。

話しかけてくる男は、父ではない。声の主を思い出せないこと自体が、この夢の安心感を作っている。誰が語っているのか、その声を信じてよいのかを、確かめる必要がない。その意味では、彼はユング派心理学でいう「老賢者」のような像に近い。ただし夢の中で重要なのは、その人物が誰なのかよりも、安心できる声がなお命令の形で届いていることだ。

古い法は言う。従え。自分を正当化せよ。自分の道に価値があると証明せよ。新しい声は言う。自由に生きよ。危険を引き受けよ。ぎりぎりの縁で賭けよ。内容は変わっている。けれど、命令という形式は残っている。

危険なのは、リスクそのものではない。危険なのは、自由がなお他者から受け取られていることだ。私は「分かった」と示すためにチップを投げる。つまり、自由に生きよという命令に従おうとする。この身振りは、解放であると同時に服従でもある。私は受け継がれた価値をただ握っているのをやめる。だが、それを賭けに出した瞬間、それは失われうる。

夢の中で死ぬのは、単純な「私」ではない。どう生きるべきかという指示に従うことで生きようとする人物である。だから彼は悲劇的なのだ。彼は法に反抗したから死ぬのではない。自由を内容とする法に従ったから死ぬ。

笑いもまた、同じ構造から来ている。夢は超自我の命令を裏返す。生を享楽せよ、しかし享楽しすぎるな。自分を賭けよ、しかし自分を失うな。チップを使い切れ、しかし最後の一枚は残せ。この規則は、それ自身への服従の条件を壊してしまう。だからおかしい。だが、それは単なる論理的な冗談ではない。主体の一つの現実的な形である。

チップを失ったあとも落ち着いていることは、生との別の関係の始まりである。もしチップが古い価値の印であるなら、それを探さないことは、ただ生を諦めることではない。生きてよいという保証を、もう回収しようとしないことでもある。この夢は、その喪失の後に何が来るのかをまだ見せない。ただ、自由がなお認可されることを必要としている自己の死を、そこで上演している。


[夢] 家にいる。父も母もいる。二人の歴史というか、真実が見えるようになる。父の家庭環境は厳しくて、祖父にずっと認めてほしかった。母はMère1っぽくて、本当は自分の価値を作り出したい。私に対して期待や関心があるんだけど、どちらも本当は私に投影しているにすぎない。父に「父親像と和解して」と、母に「自分自身のものを探して」と言おうと思った。

Footnotes

  1. ユング派の文脈で語られる四つの女性タイプ(Mère/母、Hetaira/ヘタイラ、Amazon/アマゾン、Medial Woman/媒介的女性)のうちの「母」タイプ。 ↩︎


[夢] 演技の授業を受けていた。先生は、二人一組になって、何か短い演技をやってみるようにと言った。普段の私は、こういうふうに突然先生から「何かやって」と言われるのが苦手だ。けれど夢の中では、何も分からないままでも、もう少し自分を出してやってみればいいのではないかと思っていた。

演技のパートナーは、大学時代に哲学をやっていた知り合いだった。親しいわけではない。私には彼女が、哲学そのものをやりたいというより、誰かと議論したい、仲間がほしい、友達がほしい人のように見えていた。そのため、現実ではあまり興味を持てなかった。けれど夢の中では、それでもいいと思っていた。

授業では、それぞれがパートナーを見つけ、どんな演技にするかを話し合う時間が与えられた。私は彼女と一緒にやることにした。もともと彼女は私の隣に座っていたのだが、椅子を動かして、向かい合って話せるようにしようとした。ところが、彼女はトイレか何かで一瞬姿を消した。彼女がいないあいだに、私は椅子を向かい合わせに置いていた。

場面は大学の教室へ切り替わった。夢の中の人々は少しずつ入れ替わっていった。先生は、私の知っているフランス人になった。パートナーも、別のフランス人になった。そこで私は演技について考えていた。演技とは、強い感情を出せばよいものではない。けれど、ただ自然であるだけでは、それが演技なのかどうか分からない。自然さからほんの少しだけはみ出し、けれど作り物にはなりきらないもの。そういうものが見えたときに、逆に「これはこうであるべきだった」と思わせるような正当性が生まれる。そういう演技が私の理想なのだと、夢の中の私はパートナーと話していた。

相手はそれを聞いて「完璧派の演技が好きなんだね」と言った。完璧主義ではなく、完璧派。どうやら夢の中では、そういう演技の流派があるらしかった。

結局、私たちは言葉のすれ違いを扱う短い場面を思いついた。私はバスに乗っていて、自分の知らないフランス語をどうにか話そうとする。後ろにいる人がそれを拾い、補ったり、ツッコんだりする。言語そのものを笑いにするというより、知らない言葉を話そうとする人と、それを受ける人とのずれを見せるような場面だった。

いつのまにか、その授業は演技の授業ではなく、フランス語の授業になっていた。初回の授業なので、本当に初心者向けの、ごく簡単な言葉から始まっていた。授業の終わりには、先生やSAの連絡先がボードに書かれ、私はそれをメモしていた。SAとしても、大学時代にフランス語ができた知り合いが出てきていた。振り返ると、先生もパートナーもSAも、みな私の知っている人だった。授業が終わるにつれて、夢からも目覚めた。


[分析] この夢の中心にあるのは、自分に先立って存在している形式の中へ、どうすれば自分を失わずに入っていけるのか、という問題である。

演技も外国語も、どちらも私に先立って存在している。役、台詞、発音、教室、先生の視線、他人からの反応。そこに入らなければ、私は現れない。だが、そこにただ従うだけでも、私は現れない。夢が見せていたのは、その中間の難しさだった。自分ではないものに形づけられながら、それでもその形式を通して自分が現れること。

この夢の緊張感は、人前で失敗することへの不安だけではない。先生が「今、何かをやって」と言う。準備ができてからではなく、まだ何も分からないまま、私は表現の場へ呼び出される。精神分析的に言えば、この要求は〈他者〉の側から来ている。私は、自分で完全に支配できる場所から表現しているのではない。まだ自分のものになっていない形式の中へ、先に立たされている。けれど重要なのは、そこで逃げるだけではないことだ。苦手意識はあるが、同時に、もう少し自分を出してみればいいのではないか、という感覚もある。

フランス語の場面は、この構造をさらに明らかにしている。知らない言語を話すとき、私は自分の言葉を完全には所有できない。正しく言える保証も、きれいに聞こえる保証もない。だから誰かに拾ってもらう必要がある。直してもらい、補ってもらい、反応してもらう必要がある。ここで表現は、私一人の能力ではなく、関係の中で成立するものになる。

ただし、夢は私を完全に未知の場所へ投げ出していたわけではない。先生も、パートナーも、SAも、演技の中で私の言葉を拾う人も、みな知っている人の姿をしていた。私は新しい形式の中へ入ろうとしている。だが、その場はまったく知らない他者によって構成されているわけではない。夢は、新しい場所へ行くことと、知っている人たちのあいだに留まることを、同じ場面の中に重ねていた。

この意味で、最初のパートナーも偶然ではなかったのだと思う。彼女は、私が現実ではそれほど興味を持てなかった人だった。哲学そのものよりも、誰かと議論したい、仲間がほしい、友達がほしい人のように見えていた。けれど夢の中で、私は彼女をパートナーとして受け入れる。たぶんそれは、私が自分の中のある部分に場所を与えようとしているということでもある。純粋な思考や哲学だけではなく、誰かと一緒にいたい、話したい、一緒に場面を作りたいという、もっと弱く、もっと素朴な欲望。その部分を、私はふだん軽く見ていたのかもしれない。

ここで少し気になるのは、椅子を向かい合わせに置いていたことだ。会話はまだ始まっていない。相手も一瞬いなくなる。それでも私は、先に向き合う形だけを作っている。出会いそのものを保証することはできない。けれど、出会いが起こりうる配置だけは作っておく。

「完璧派」は、この夢を読むための重要な語だと思う。ここで言う完璧とは、欠点がないという意味ではない。感情と形式の距離が、ちょうどよく保たれているということだ。感情をそのまま出せば本当になるわけではない。かといって、ただ自然でいるだけでは、何も形を取らない。自然さから少しだけ離れ、けれど作り物にはなりきらない。その距離によって、はじめて本当らしさが生まれる。

これは演技論であると同時に、自己表現の問題にもつながっている。私は、感情をそのままこぼしたいわけではない。だが、知性や距離や技術の背後に隠れたいわけでもない。必要なのは、感情を粗く見せずに現す形式である。形式は、感情を覆い隠すものではない。むしろ、感情が他人の前に現れるための条件である。

だからこの夢で問題になっている欠如は、単に克服されるべきものではない。できないこと、知らないこと、準備ができていないこと。それらは恥ずかしさであると同時に、形式が入り込んでくる場所でもある。役は、私の欠如を隠すためにあるのではない。欠如と重なることで、私を別の仕方で現れさせる。

自分が現れることのできる形式を見つけること。たぶん、この夢が言っているのはそれだけである。


[夢] あまりはっきりとは覚えていない夢だった。背景には、大学を卒業して大学院へ行く前のような感覚があった。あるいは、中学校の夏休み、あるいは放課後のような感覚でもあった。何か、夏休みにやる課題のようなものがあった気がする。ほかにも色々あったはずだが、そこはもう覚えていない。

自分の家ではないのに、自分の家という設定の場所にいた。そこには色々な本があり、私は本を手に取って読んでいた。エッチなアニメもあった。別にそれを性的に見たいというより、人間のファンタジーを観察するものとして、少し面白いと思っていた。父が、本とアニメのどちらに興味があるのか、というようなことを普通に聞いてきた。私は、いや、こっちを見てみたい、と言った。父は、それもいいね、というくらいの軽さで返した。

夢の中のその家は、私の家ではないのに、私の家だった。父も父でありながら、どこか現実の父とは違っていた。

夏休みが始まったばかりのような、あるいは放課後のような時間でもあった。LINEがたくさん来ていた。色々な友達から、遊びに行かないか、こっちに来ないか、という連絡が来る。みんな近くに住んでいるようだった。私は家のドアを開け、そのまま外へ出るようにして、少し友達に会いに行っていた。親は、今何をしているのか、誰から連絡が来たのか、どこへ行くのかを聞いてこなかった。放っておいてくれた。

年明けか年越しのような時間もあった。みんながそれぞれどこかで過ごしていて、私は自分がどう過ごすかを考えていた。少し一人ぼっちだった。最初は寂しさがあった。けれどそのあと、自分の中のシーキングシステムのようなものが働き始めた。この日にやっているイベントはないだろうかと思い、Googleマップで調べる。いくつかイベントが見つかったので、少し覗いてみようと思った。

私はその会場へ行った。知り合いの先生もそこにいた。知らない人とも話した。何か飲もうかな、と考えていた。寂しさは消えていなかったと思う。けれど、その寂しさの中から、自分でどこかへ行き、誰かと話し、何かを見つけに行く感じがあった。


[分析] この夢は、家族への嫌味として見ていたわけではない気がする。もちろんファンタジーではある。けれど、奪われたものを夢の中で取り返している、という感じでもなかった。家族との和解というほどはっきりした感覚もない。自分との和解という感じも、そこまで強くはなかった。ただ、幸福感のある夢だった。

その幸福感は、勝利や解放のようなものではなかった。もっと静かで、普通の生活が普通に可能になっていることから来ていた。友達から連絡が来る。ドアを開けて外へ出る。本を読む。エッチなアニメを見る。父と少し話す。年末に一人でイベントを探す。どれも大きな出来事ではない。けれど夢の中では、それらが恥や監視によって塞がれず、自然に流れていた。

時間の設定は、最初から少しずれている。大学を出たあと、大学院へ行く前。中学校の夏休み。放課後。年越し。どれも、ある段階が終わり、次の段階へ移る前の時間である。実際の私は大学院へ行っていないし、もう大学を出てから六年ほど経っている。だから夢は、現実の過去をそのままやり直しているわけではない。むしろ、どこかでうまく生きられなかった移行期を、別の形でもう一度開いている。

この「自分の家ではないのに、自分の家」という設定は重要である。現実の家でも、過去の家でもない。かつての私は、家の中に自分のものが何もないように感じていた。ここでは逆に、そこに本があり、アニメがあり、父がいる。父がいても、それらは奪われない。夢は、実家をそのまま回復しているのではなく、自分の欲望や思考を置ける別の家を作っている。家が、所有や報告を求める場所ではなく、外へ出ていくための拠点になる。

その家の中で、本とエッチなアニメが同じ部屋にある。知識とセクシュアリティが、分けられていない。私はそれを単に性的なものとして見るのではなく「人間のファンタジー」として見ている。これは少し知性化でもある。けれどこの夢では、それが防衛だけには見えない。性を考えることができる。性を観察することができる。性が、恥ずかしいものとして追放されず、思考の場に入ってくる。

現実の家族では、父とセクシュアリティについて普通に話すことは絶対にできない。性に関する話は、基本的にすべてタブーだった。だから夢の中の父は、父でありながら、現実の父とは違っていた。夢の父は、欲望を禁止しない。かといって、そこへ侵入してくるわけでもない。ただ普通に聞き、普通に受け入れる。ここで父は、内的な権威の別の形として現れている。誰かに見られていても、その視線によって欲望が奪われない。

LINEの場面では、友達が近くにいる。呼ばれたら、そのまま外へ出られる。これはかなり日本っぽい設定だったと思う。友達が近くに住み、放課後に連絡が来て、親を通さずに会いに行ける。そういう社会的な配置が、夢の中では最初から与えられている。関係が家族によって媒介されすぎない。友達との関係が、すぐに家族の知識へ回収されない。外の世界が、私的な外の世界として残る。

現実ではほとんど真逆だった。中国では、みんなばらばらの遠い場所に住んでいる。互いにふらっと訪ねていったり、遊びに行ったりすることはなかなかできない。車社会でもあるし、私はほとんど一人で家を出ることがなかった。一人で遊びに行くことが明確に禁止されていたわけではない。けれど、どこに行くにも親と一緒に出かけるのが普通だった。禁止よりも深いのは、欲望が願望として口に出る前に、すでに言えないものになっていることだ。

だから夢の中でドアを開けて外へ出ることは、単に移動が便利だということではない。友達から連絡が来て、そのまま身体が外へ向かう。欲望が、許可や説明を通らずに運動になる。親は何をしているのか、誰から連絡が来たのか、どこへ行くのかを聞かない。ここでの自由は、放置されることではなく、外の世界を家族に回収されないまま持てることである。

この夢で少し新しいのは、他者の声が命令として届いていないことかもしれない。父の質問も、友達からのLINEも、イベントにいる先生の存在も、私に自分を正当化させない。自由が、反抗や認可の形を取らない。目標として掲げられる前に、生活の中で結論として現れている。ただ、応答できるものとしてそこにある。だから身体が動く。

年越しの場面では、構造が少し変わる。そこでは誰かに呼ばれているのではない。私は一人で、少し寂しい。けれどその寂しさの中で、シーキングシステムのようなものが動き始める。Googleマップでイベントを探し、会場へ行き、知っている先生に会い、知らない人とも話す。寂しさは消えない。だが、寂しさがそのまま停止になるのではなく、探索の始まりになっている。

この夢には、三つの場所がある。家では、自分のものを置ける場所が作られ、欲望と知識が恥を伴わずに同じ部屋へ入る。近所では、友達の呼びかけに応じて、許可なしに外へ出られる。イベントでは、孤独が崩壊ではなく探索へ変わる。つまりこの夢は、恥じずに欲望すること、許可なしに他者へ向かうこと、一人でいても世界へ出ていくことを、同じ内的な世界の中で可能にしている。

だからこれは、過去を修復する夢ではないのだと思う。過去が、いま何を生きられるかを最終的に決めてしまわないような、別の内的な場所を作っている。夢の幸福感はそこにある。世界が、自分にとって使用可能なものになる。父も、友達も、孤独も、セクシュアリティも、すぐに恥や監視や禁止へ変わらず、そのまま自分の生活の中で動き始める。